来るべきAI社会に曖昧という認知は無くなる

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海岸で撮影した高校生に自宅があまりに近所であった。グーグル地図検索では車で5分、末梢神経障害で最初に通ったT整形外科の隣り。用意した二枚のモノクロ写真を携え車で向かった。グーグルが迷い無く指示する地点は、高校生の自宅の地番とは桁違いに異なる“遠藤600番台”の地番。付近でBMWを洗車していた男性に訪ねるとモバイルを家から持ち出し調べてくれた。やはり二人が佇む位置をグーグルは指し示す。茅ヶ崎と藤沢が複雑に交差するこの周縁を一時間ほど探しまわる。平日の正午前後は住宅街の人通りは絶える。表札で見当を付けようにも半数以上の家の表札は外されている。初めて知った住宅地の小さな変化に「何故に」と身震いを感じた。一度帰宅して藤沢遠藤全体図から見当を付けた、グーグル指示とは4キロ程離れた秋葉台体育館の裏手。再度出掛けたが地番には至れど表札が出ていない。偶然に鉢合わせした郵便局員に訪ねると、自分の車を止めた側面に建つ家。写真は無事に渡す事が出来た。帰路の車の中で、物理に解き明かされない億光年の新星の存在を確定してゆく、人に別枠する英知デジタルAIを疑義することのないこの時代状況に不安を覚えた。人の社会から無差別にグレーゾンを無くして行く事が本当の人の英知/文化なのだろうか。おそらくこれからもグーグルが「判りません」と応える事は無いのだ。すべてではないが、診察時の医師はほぼコンピュータ画面に眼を固定し、ちら見で患者の様子見て、検査結果表が渡され診察は終わる。余談めく病への関連質問はグレーゾンの会話として、ほぼ拒絶され相手にはされない。文明絶対に徹すれば医療効率は、患者を不在としてどこまでも高くなる。いますぐに医療はデジタルを道具とするスマートな白いサービス業となるだろう。
大げさかもしれないが、世界へのデジタル解析の信頼は、デジタルで機能しているこの社会的側面のICファシズムへの盲従に思える。曖昧ならざる回答/グレーゾーンを失わない主体性を確保する事が病への本当の対峙であり、病気脱出への一歩なのだろう。だから私は医療ではなく、主体的な認識から少しずつ病から離れてゆくだろう。幾時代のファシズムもグレーゾーンの抹殺に成立している。モダンで清潔な現代のデジタルファシズムに関心を持続させたい。

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2016年9月17日 (土)

公序良俗と写真の抜き差しならない‥‥

東京大久保に出掛ける。降雨を我慢する曇天の下を、駅東口に出る。曇り空などにうち沈...

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2016年8月29日 (月)

OLYMPUS SIX を実用する

仕事に疲れた時に、子供用の紙粘土で遊ぶことがある。よく練り上げてから、目論みなし...

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2016年8月11日 (木)

美しい夕空とは惜別になるのだろうか

愛知芸大のデザイン棟入り口は、小高い三が峰の頂上、遮る木立の少ない見晴らしの良い...

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2016年7月23日 (土)

世界は重複する/そしてトゥオンプリーの「変奏のリリシズム」

昨日7月22日は五芸祭で飛んでしまったゼミの補講。前期末の混乱から教室が写真暗室...

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